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たばこに関する昔話

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人の人生を左右する判断を行うと、一生後悔を背負うことがある。

 

パリの世界大運動会前に喫煙と飲酒で出場を辞退した選手がいると聞き、昔話を思い出した。自分語りをすることにする。

 

 

平成一桁代の話。

 

高校時代、チームメイトに日本代表に選ばれるだろうと言われていたA君がいた。背が高いわけではないが体格はガッチリしていて、足は速く、判断力も素晴らしく、早くから注目されて活躍していた。

 

彼は紛れもなく一流選手であった。そんな選手は、生命力に溢れて元気で明るいが、だいたいヤンチャだ。一般人で規律にうるさかったその頃の私は、彼のヤンチャっぷりにはついていけなかった。でも彼のプレーは素晴らしかった。

 

ある日のこと、A君は学校の帰り道でタバコを吸っているところを見つかった。学校から部活を休部する処罰を受けた。

 

A君はやる時はやる男だった。数ヶ月間やんちゃっぷりはなりをひそめ、清掃などの奉仕活動を欠かさず行った。その後禊を終えてA君は部活に戻ってきた。

 

A君は復帰してほどなくレギュラーとなる。A君の活躍もあって、我がチームは春の都道府県大会ではぶっちぎりで優勝した。A君は一流で、凡人とは持っているものが違うのだ。

 

残念なことにその大会の後、A君は再びたばこを吸っているところを見つかって、2回目の休部をすることになる。

 

A君は数ヶ月にわたる2回目の奉仕活動を行っていた。夏前だったであろうか、そろそろA君の休部期間が終わろうとしていたころ、顧問は主将だった私にA君の今後について聞いた。

 

 

「2度目はありません」と私は答えた。

 

 

そのまま、A君は部活に戻ることも無く、日本代表になることもなかった。最終判断は顧問がしたことで、お前がやめさせた訳でなあからさま気にするなと言ってくれるチームメイトもいたが、私が土下座すれば彼はチームに残れたと思う。

 

A君のいないチームは、秋の地区大会で負けて、全国大会に進むことができなかった。

 

気まずい間柄になったA君と私は、その後おっさんになるまで話すこともなかった。

 

ヤンチャなチームメイトたちに比べると、規律にうるさい私だった。でも誰よりも全国大会に行きたかったのは私だった。彼の一生を決める最後のひと押ししてしまったことに対する後悔は消えない。全国大会に行けていたチャンスを逃したのも悔しい。

 

A君に頼らず私のチームになった結果、全国大会に行けなかった。私はどれだけ頑張っても一般人。普通の人が大事をなすためには一流を下支えして輝かせる役に徹するのが一番だということ。

 

今なら、顧問にこちらから頭を下げてA君を復帰させるようにお願いするだろう。自分が喫煙に対してどう考えているかは二の次にする。

 

経営者でもスポーツ選手でも、一流のバイタリティはすごい。やんちゃなこともする。若ければ周りへの気遣いもできないこともある。反省は必要だけれど、一流がのびのびと打ち込める環境がある方がいいなと思う。一流のムーブは感動を呼べるから。

 

パリの世界大運動会前に、喫煙と飲酒で出場を辞退した選手がいると聞き、昔話を思い出した。

 

他人の人生をわかりやすい規律で断罪するのは簡単。親友と呼べる間柄では無かったA君であったが、私の一言で彼の未来を決めてしまったことは、いまでもたまにフラッシュバックする出来事である。

 

ネットの向こう側から他人事を叩くことは、誰の為にもならないと思うが、いかがだろうか。

 

20歳未満の喫煙や飲酒禁止を、罪と捉えるか、子供達が健康に育つような愛のある条文と捉えるかで反応が変わるのかもしれません。 

 

でも、現在の喫煙者で20歳変えてから吸い出した人がどれだけいるのだろう?

 

今回の出来事でも、大会が終わってからの奉仕として、地元の学校の掃除を1ヶ月や、全国の小学生向けの体操競技教室を無給でするとかできなかったものだろうか?

 

大岡裁き的な英断を下せる人間でありたかったなあ。