43号線を西へ東へ

フリーランスの備忘録、アウトプットの実験場

ブログ2周年

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いつもご訪問ありがとうございます。毎日更新には程遠いですが、なんとか3年目を迎えることができました。

去年も1周年記念記事を書きました。

昨年のフォーマットになぞらえて統計情報を載せておきます。

項目 1年目(2023-05-03〜) 2年目(2024-05-03 時点)
投稿 373 記事 580 記事
ブログ投稿日数 332 日(連続200日) 536 日(連続6日)
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つい先日 10万アクセスを達成して、過去記事の振り返りをしたところではありますが、記念日なので検索上位に上がらない個人的な出来事の過去投稿リンクを貼りながら、振り返りと自分語りの投稿をしたいと思います。

馴れ初め

2年前の昨日(5/2)、ふと思い立ちブログを始めることにしました。思い立った場所は国道43号線の佃6丁目交差点付近です。

帰宅中、国道43号線を西へ向いて走っていた時に「そうだブログを書こう💡」と思いついたから、そのままブログタイトルとすることにしました。

なぜブログ?なぜ「はてなブログ」に?、これは過去に何回も振り返っています。ブログ初期の頃は書くことがなかったので、こんな事をテーマに100記事投稿を目指して書いていました。

2年目の今日、もう一度振り返って今の言葉で書き起こしておきます。

本文を書いた後、ChatGPT(o4-mini)で要約したものを記載。本文はDetailsタグで隠しておきます。

ブログを始めたきっかけと自分語り

ChatGPTによる要約

ブログを始めたのは、情報を消化しきれず「言葉にできない自分」を変えたかったからです。もともと日常会話が苦手で、人との誤解を避けるために職人気質の仕事に逃げてきましたが、「逃げたものは一生つきまとう」と気づきました。そこそこの年齢ですがまだ間に合うと思い、あとがないからこそブログで発信を始めました。

▶︎ 1人語りの全文

ブログを始めたのは、インプット過剰状態をなんとかしたいと思ったのがきっかけでした

もともと、喋ることも、書き出すことも得意ではなく、 伝えたいことがあってもうまく言葉にできない自分に悩んでいました。

しかし表現はできず、伝えられないだけで自分の意見はあります。

自分の考えに沿って行動するので、他者からは勘違いされることが多い人生でした。誤解から生じる摩擦がめんどくさい。早々に学校や会社で上手に身をこなしながら働いていくことを諦め、資格を取り職人気質が似合いそうな仕事を始めました。

コミニュケーションから逃げた生活を送ろうと思ったのです。

専門分野で仕事する私はそこそこ流暢に喋りますが、日常会話は全くダメ。中学生の英語の教科書の英会話ぐらいクソ面白くない会話しかできません。

ただ、年齢を重ねるにつれ、逃げたものからは一生つきまとわれることに気づきました。喋れない、書けない事で、いろんなチャンスを逃した事でしょう。

そこそこのおじさんになっているので既に遅いのですが、人生はいつまでつづくかわかりません。やれるだけはやってみようという気持ちで始めたブログです。


全文ここまで。

効果

いろんな転機がありましたが、ブログを継続できた

1年前の記事を読み直してみると、ブログはリライトモードに変更して収益化を目指そうなんて書いてましたが、結局はリライトはほとんどできず仕舞いでした。

ブログ2年目は、人生の方向性が変わる出来事がたくさん起こりました。

この1年、どんな転機があったのか振り返ります。

転機その1:子供の病気と不登校

子供の3回目のてんかん発作が起こったのがこの頃でした。結局、いろいろあって不登校になり、出席日数が足らずに退学し、現在は通信制高校に入りなおしました。

転機その2:法人設立

長らく個人事業主という立場で仕事をしていました。頑張れば重くのしかかる国民健康保険料。なんでこんなに支払わなければならないの?と嘆いていました。

調べてみるとなんと神戸市の国民健康保険補助金を入れない方針だから、日本一高い国民健康保険料なんだとか。

政令市の中でもダントツに高い国保料の引き下げを(一般質問:森本議員) | 日本共産党 神戸市会議員団

所得を増やすことが、罰ゲームに思えて、気持ちが萎えた。小さな会社を立ち上げることにした。いわゆるマイクロ法人。

会社を通すことで、社保加入となり保険料はやや減額となり、労使折半により保険料の半分は法人の経費となるので、個人としての支払いは大幅減額となった。

かなりモチベーションが上がりました。「手取りを増やす」ことは、気分が上がります。

しかし、立ち上げ時の手続きは本当にめんどくさかった。

転機その3:大口取引先の契約解除

15年近く取引のあった大口さんから、突然の契約解除。数年前から気配はあったなか、現実となるとショックは大きい。

ただ、私の独立初期からずっと利用してくれた事、コロナ禍でもいち早く取引を再開してくれた事には感謝しかありません。

新規開拓せねばというところですが、私の仕事の進め方がちょっと特殊な業態かつ、営業下手なコミュ障おじさんが売り上げを解消させるのは至難の業です。

コロナ前とコロナ明けは調子が良かった分、法人設立する決断を数年早くすればよかったと後悔。

転機その4:家族のガン再発

これが1番の転機かもしれません。最後の手術から10年が経過した家族のガンの転移が発覚。

一時期は、家族の精神状態が大変でしたが、今はなんとか持ち直しています。しかし、抗がん剤は高えよ。

転機その5:おじさんタイミー、デビュー

仕事関係の支払い、子供の再入学金、抗がん剤と支出はどうしようもなく増えました。そして、大口取引先がなくなりました。

それまでは、ランニングに、ブログにと早朝の時間はは自分のために勤しんでました。先立つものが無くなってきては、健康のために走るなんて、そんなブルジョアジーな事はやってられません。

せっかくつけた体力を存分に生かしてやろうじゃないか

という事で、モクモク系バイトと呼ばれる物流系・倉庫系の仕事を空き時間に始めました。

正社員はもちろん、契約・派遣社員よりも、さらにアルバイトよりも下層のタイミー。名前さえ呼ばれず「タイミーさん」と呼ばれる世界。世の中には階層があることが体験できて良い勉強になりました。

しかし、経済的にはこのような働き方は本当厳しいものだと実感されました。

昨年9月から4月までの8か月間、すきま時間を利用して働いた時間は239時間、得られた収入は30万円。

タイミーとは別の倉庫の早朝バイトも10月から開始して、そちらの給与が10月から4月までで35万円。

半年とすこしで65万円が補填されましたが、うっかりミスによる支払額も多かったのが現状。

  • 途中の事故の修理費用が10万円
  • 路上駐車違反の罰金が1万5千円
  • 5万円で下取ってもらうiPadProが故障判定で100円で引取り

睡眠時間削って、体力を消耗して、お金ががっぽり残ればいいのですが、余分な支出が増えて、疲労が溜まる。何をやってんだかわかりません。

本業から片足を抜いてみてわかる、本業の素晴らしさ。注力すべきは本業だと、つくづく思い知らされました。青い鳥はそこにいました。

しかし、知らない世界を体験できてよかったです。いろんな会社の裏側に入って内情が見れる、そして普通では絶対会えない人たちに会える。

選挙の出口調査は雇用主はタイミーではないですが、一二を争う興味深いバイトでした。

おいおいブログにしていく予定です。

最後に

長々と自分語りをしてしまいました。過去記事を掘り起こして、この一年を振り返る機会になりました。

落ちるところまで落ちたように思います。もう一段落ちる余裕はなさそうに思うので、後は上がるだけになるといいなぁ。

来年も振り返り記事を書けるように、日々頑張ります。