子育ての話しです。
年頃の子供いるのですが、学校・塾ともに勉強がうまくいっているように思えません。ここが頑張り時なのは本人もわかっていると思うのですが、行動がともなわない。親側としてはストレスがたまる状態です。
どうしたものかと思いながらネットを徘徊していると、気になる言葉が飛び込んできました。「課題の分離」です。字面だけではよくわからないので、調べてみました。
「課題を分離する」という言葉
小五からブログを書いている「ひゃくまん」様のブログで、「課題の分離」というアドラー心理学の概念を紹介されていました。具体的には、人間関係において「自分の課題」と「他人の課題」を区別することの重要性に焦点を当て、中学生の視点で日常生活の例を用いて解説しています。
我が家でも早速取り入れることにしました。子供を勉強するように強制するのでは無く、子供が勉強する環境を支援することに徹することで、接し方が変わり、親側のイライラが減弱したように思います。
フローチャートでまとめてみました。
flowchart LR A["アドラーの課題の分離"] --> B["自分の課題と他人の課題を明確に区別"] B --> C["他人の課題に対しては、環境を整え支援する"] B --> D["自分の課題には自己責任を持つ"] E["一般的に陥りがちな思考"] --> F["他人の課題を自分の課題として捉える"] F --> G["他人の問題を解決しようとする"] F --> H["自分の課題を他人に依存する"] style A fill:#f9f,stroke:#333,stroke-width:4px style E fill:#bbf,stroke:#333,stroke-width:4px
具体的な行動は何か変わったのか?
といいつつも、実際に子供に言うことはそれほど変わった訳ではありません。早く寝る、早く起きる、やるときは集中する。それくらいです。
ただ、それらをやらせるのではなく、やれる環境を作るのを助けようとするこちら側の意識が変わるだけで、なぜかイライラが減りました。一種のリフレーミング効果でしょうか。
意識していると新たに変わる何かがあるかもしれません。
「課題の分離」はアドラー心理学
アドラー心理学は、その起源を1910年代から1920年代にかけてのフロイト心理学からの派生として持ちます。この時期、心理学の世界では、フロイトの性的な精神分析学を源流として、ユングの深層心理学とともに、アドラーの理論が独自の道を切り開いていました。フロイトやユングと異なり、アドラーは個人の内面だけでなく、その人が属するコミュニティへの着目を強調しました。これは、性や深層心理といった概念を超え、より社会的な側面から人間の心を理解しようとするものなのでしょう。
アドラー心理学は、実験に基づく現代心理学の実証主義とは一線を画し、「観察や対話」を通じた理解を深めるアプローチを採用しています。この手法は、より科学的な手段に依存する現代の研究方法とは異なり、個人の経験や社会的な相互作用を重視するものです。
フロイトやユングと並び称されることもあるアドラーですが、彼の心理学は特に初心者にとって学びやすいように思います。実証的なものは無いのか、調べてみたいと思います。
参考図書
「嫌われる勇気」2013年
- アドラー心理学を広げた書籍
- 「嫌われる勇気」「承認欲求の否定」などが、この書籍によって広がった言葉。
ドラマ化もされていた「嫌われる勇気」
ドラマ化もされているが、アドラー心理学を曲解していると批判されていたのだとか。アドラー心理学の課題は、科学的では無い芸術的な心理学である印象を受けました。
香里奈「嫌われる勇気」に放映中止要求 本家・アドラー心理学会の抗議理由: J-CAST ニュース【全文表示】