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西国街道再び:くび地蔵~乙女塚古墳

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10月以来の西国街道を歩く。12月とは思えない暖かさのなか、ウォーキングしてきました。名所をいくつか記録します。

くび地蔵

くび地蔵
かって大名行列や旅人が、西国街道を盛んに往来していたころ、当地に首から上の病気に霊験あらたかだったという「花松地蔵」と呼ばれる地蔵尊があった。 この「くび地蔵」は、大正6年(1917年)にこの地域の人々によって建立されたもので、すでにあった花松地蔵に納め「花松くび地蔵」と名付けられた。
東灘区役所

ブサカワと言いますか、昔の下ぶくれ美人顔なお地蔵さんです。

〒658-0081 兵庫県神戸市東灘区田中町5丁目3−6

阪神御影駅の高架下商店街

昔はこの高架下の内部にも商店街があったようですが、今は外側だけになっています。

西国橋

西国橋
この橋は、西国街道の本街道筋に当たっているためこの名が付けられた。平安時代に大路(おおみち)とされた山陽道は、都と九州大宰府を結ぶ古代国家の大幹線道路であった。鎌倉時代には、東海道の繁栄にひきかえ山陽道は衰えたが、江戸時代になると四国と畿内を結ぶ交通路として大いににぎわい、西国街道の名で親しまれていた。
東灘区役所

石屋川駅も橋梁上駅でした

左手前に見えるのが石屋川です。

処女塚(おとめづか)への道標

処女塚道標 この道標が建つ東西の道は、江戸時代の西国街道・本街道にあたる。そして、ここから南にある処女塚へ向かうための道しるべとして、この道標は建てられた。
正面に「兎原遠とめ塚」左右に「小山田健雄戦死碑」の文字が刻まれている。
東灘歴史振り起こし隊
東灘区役所

処女塚

国指定史跡 処女塚古墳(おとめづかこふん) 処女塚古墳は、東灘区住吉宮町1丁目の東求女塚古墳および灘区都通3丁目の西求女塚古墳とともに、古く万葉の昔からひとびとに知られた有名な古墳です。> 大正11年に国の史跡指定を受けましたが、すでに墳丘の一部は道路で削られていました。
処女塚古墳の整備事業は、国の補助を受けて、昭和54年度から墳丘の整備をはじめ、昭和59年度に完成しました。
整備に伴う調査の結果、南向さの前方後方墳で、もとの大きさは、全長70メートル、後方部の幅39メートル、高さ17メートル、前方部の幅32メートル、高さ14メートルあり、後方部を三段築成、前方部を二段築成にしていたことがわかりました。
また、墳丘の斜面には石を葺いていましたが、円筒埴輪は立てておらず、数個体分の山陰地方の特徴を持つ形土器が見つかりました。濠の状態については明らかにすることができませんでした。古墳を造った年代は、出土した壺形土器などによって、3世紀後半と考えることができます。

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