3月31日、神戸に一匹だけ生存するパンダ「旦旦(タンタン)」が亡くなりました。阪神淡路大震災後の神戸の復興を願って、2000年7月16日に貸与された二頭のパンダの女子の方です。
コウコウが亡くなったニュースとともに、子供達との思い出が蘇ってきました。子供が小さい時に年間パスポートを買って何度も通った王子動物園。そのシンボル的存在がパンダでした。
時間があったので、王子動物園に手を合わせました。写真日記として残しておきます。
王子動物園のジャイアントパンダの歴史
初来日は2002年
メスのタンタンとともにオスの「興興(コウコウ)」も王子動物園に仲間入りしました。ただ、コウコウは2002年12月9日に2代目に交代しています。
私が神戸に移り住んだのが2003年の3月の事。つがいのパンダが元気に過ごす姿を眺める人たちで、パンダ館はいつも賑わっていました。
2度懐妊するものの子宝には恵まれず
2007年には死産し、そのよくとしには赤ちゃんが生まれましたが、3日後に死にました。
2008年8月26日に赤ちゃんを出産するも、赤ちゃんは4日目に亡くなってしまう。死因は母乳を飲めなかったことの衰弱。四川大震災で中国人スタッフが来日できず、うまく乳をあたえられなかったことも影響した。
先立ったコウコウの命日は2010年9月9日
神戸に来て8年と3ヶ月で2代目コウコウは動物園内で無くなってしまいました。当時の記事では、麻酔を用いる処置を行った後に亡くなったと読んだ記憶がありますが、本当のところどうなんでしょう。当時の飼育員さんはずいぶん心を痛められたことと思います。
タンタンの献花台へ
パンダ館内に献花台が設置されています。わたしも久しぶりに神戸市灘区にある王子公園に行って参列してきました。
当時パンダ館に行くと子供たちのテンションが上がっていたのは、子育てパパのよい思い出です。
正門左手の券売機では、クレジットカード決済やタッチ決済が可能となっており、時代を感じさせました。あいにくの雨模様で人もまばらでした。
正門をくぐると桜の並木が広がっています。右手は象の運動場。左手はフラミンゴの池があります。
正面の坂沿いには桜並木が広がります。この時期の王子動物園は桜の通り抜けが実施されるため夜間にも開放されます。
今日の目的地であるパンダ館は坂を上がった左手にあります。
本来なら桜のシーズンで人がごった返していたのかもしれません。今日はあいにくの雨なので、人も少なくさみしい動物園でした。
パンダ館に入りました。
タンタンの飼育部屋前には献花台が備えられ、たくさんの花が手向けられていました。
コウコウが亡くなってから14年、ひとりぼっちになったパンダにいろいろ思うことはありました。
いくつかの花にはタンタンに対するメッセージが添えられていました。
パンダ館を出たところは桜の回廊になっていました。
せっかくなのでレトロな遊園地で遊んできました
こんなん子供でも喜ばんぞ、というレトロな遊具だらけですが、懐かしさというアンプを噛ませれば意外と楽しめるものです。
ただ故障中の機器が多くあります。修理の予算がないのか、古過ぎて部品が無いのか。
ワニワニパニックのバージョン3がありました。2007年発売のマシンなので、この中では比較的新しいゲームです。
面白くなさにビックリする(笑)宇宙遊泳ですが、レトロ好きにはたまらない乗り物です。初めて子供乗った時の子供の困った顔が忘れられません。
鏡のおうちは、透明ガラスと鏡でできた迷路を進むものです。手を前に伸ばして進まないと頭を打ちまくります。安全対策でおでこをぶつけないためか、最後に入った時にはガラスにテープが貼られて難易度が下がっていました。
頭を打って泣き出す子がいて、それを助ける子がいて、みんなを導くリーダーがいる。たった数100円で大冒険が体験できる良アトラクションだったのですが、今の時代には「不適切」と認定されたようです。
雨で視界の悪い中、観覧車に乗って神戸の街並みを眺めて帰りました。
観覧車から屋上緑化されたパンダ館を望む。主人のいない建物はどうなるのでしょう。アドベンチャーワールドから借りて来れたらいいのですが、パンダは中国からの借り物ですから、そんなに簡単にはできなさそうです。
ゾウの諏訪子の記念碑
動物園は動物を観察するだけではなく、死と向き合うところでもあります。ゾウ舎の裏手には飼育部屋があり、その裏には王子動物園の開園メンバー、ゾウの諏訪子の碑があります。
上の子供と動物園から帰るとき、最後に立ち寄るのが諏訪子のおりでした。
「次に王子動物園に来るのは、君らの子供ができた時やな」なんて言いながら帰りました。