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フリーランスの備忘録、アウトプットの実験場

kindle日和

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先日、芥川賞受賞作品「ハンチバッグ」を読みました。小説とは、文字情報からよそ様の頭の中の世界を自分の頭の中で再構築して、そのズッポリ入り込む(読む)作業。年をとると自分のフィルター?壁?が出来てしまったのか、入り込むのにかなりのエネルギーが必要でした。

最近は「ブログの書き方」や「文章の作法的な本」とかの実用書ばかり読んでいたので、比喩表現があふれる「文学」を読んで、かなり疲れたというのが本当のところです。ほとんど説明なしに「マチズモ」なんていわれても頭の中は混乱します。文学読むには教養が必要だと実感した瞬間です。

疲れたといいながら、そういう感覚におちいること自体は楽しめたようで、その後kindleの中でサイバーな積ん読になっていた小説をいくつか読みました。ドライブ・マイ・カーを見た後に買った「女のいない男たち」、昔大好きだった「カンガルー日和」、若い頃に読んでなかった「パン屋再襲撃」を立て続けに読みました。村上春樹ばっかりですね、昔好きだったもので。

上記の3つの短編小説集をリハビリがてらに読んだら発見がありした。村上春樹も成長?進化?されているようで、より最近の「女のいない男たち」の方が読みやすかった。若い頃の「パン屋再襲撃」も独特の言い回しが楽しめるのですが、結局のところ、読んだ後に主題が全くわからず、ほったらかしにされた感覚がのこります。私の文脈を読む能力の低下なのか、著者があらぬ方向に突っ走りすぎなのかわかりませんが、それはそれで楽しめています。

小説「ドライブ・マイ・カー」の主人公のこころの言葉「そしてまた舞台に立って演技をする。(中略)いったん自己を離れ、また自己に戻る。しかし戻ったところは正確には前と同じ場所ではない」と言う言葉、読書にも通じるところがあります。

読書も作品の中に入り込んで、その世界を俯瞰したり登場人物と一緒に立ち回ったりしながら、読み終わったときはなんとなく違う自分がいる気がする。確実に作品に心と立ち位置を動かされた実感がある。本を読みたくなるというのは、そういうことを求めているのかもしれません。

余談

サイバーな積ん読というのは、積み上げていることすら見えないのでたちが悪いです。数年間に買って読み残していた「細雪(上)」が出てきました。もう一回チャレンジしてみようかな。