タスクが多すぎる、時間が無い、体力が限界。このような場合、自分の考えや行動を単純化・簡略化して省力化してしまう。悪い癖である。
作業の備忘録ブログと化している拙ブログだが、たまには自分の行動パターンのログも書いておきたいと思う。
単純化という名のサボりでは無く、取り組み方を変える
私の場合、忙しい時に単純化した行動を取りがちであるが、その単純化も行きすぎると細部が消えてしまい、特色が無くなってしまう。
たとえて言うなら、名画を白黒2階調のFAXで送信するようなものだ。送信データは元画像に比べて圧縮されるため、送信にかかる時間は減る。しかし誰がそんなものを見たいと思うだろうか。
単純化することもいいことばかりでは無いのだ。
単純化について考える(専門用語と一般的なことば)
単純化とは、複雑なものや考え方をシンプルにすること、より理解しやすい形にすること。複雑なものを最低件の要素に分解して、不要な部分を省略し、簡単な言葉で説明することである。
単純化のわかりやすい例として、「専門用語を一般の人が理解できる言葉に言い換える」ことがあげられる。私の2番目の恩師は「子供にもわかる言葉で置き換えることができる人が頭のよい人だ」といつも言っていた。専門的な概念を単純化することは、全体を理解しているから出来ることなので異論は無い。だが、現場で一般の方の対応をすることに追われていと、いつしか専門用語の世界に戻るのを忘れてしまう。一人職場のデメリットである。
それぞれの専門用語には特有の意味がある。それが無いと説明がつかない言葉たちである。一般的な「ことば」に置き換えることでとっつきやすいだろうが、元々の意味からは遠ざかり、逆に不明瞭な内容に置き換わる。
思い返せば、頭の中から専門用語が駆逐されはじめていたので、専門家の判断能力が徐々に無くなっていたのだろう。振り返れば思い当たる節も多い。
最後に
仕事の取り組み方を変えようと思って文章を書き始めるものの、到達点は専門用語の話でおわるという、また締まらない文章になってしまった。
専門家を専門家たらしめるものは、専門用語を使って専門的な論理構造で判断し、世間様に貢献すること。
取り組み方については、今後の課題である。