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フリーランスの備忘録、アウトプットの実験場

告知

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告知とは、情報や予定を事前に知らせること。新しい店のオープンやイベントの開催予定、組織や名称の変更などありとあらゆる告知が世の中に存在する。

イベントの告知と違い、人生がそろそろ終わりますよという告知をする医師の仕事。本当に大変な仕事だと思う。

大人になるというのは、人生経験を積んで社会的・経済的に上手に立ち回ることが出来るようになることと、私は勝手に定義している。

いくら立派な大人でも、ありとあらゆることを経験してきたと豪語する人でも、宗教の偉人を除けば、生まれるのも死ぬのも一回だけである。

人生の中では多少の失敗ならやり直すことでリカバーが効くが、生きることと死ぬことは、人生を語る上でのベースである何度もやり直せる性質を持たない。

今考えていることや悩みは、今の人生が続くから成り立つものである。その人生が終わりが近づいてくるとなると、より階層が深いレイヤーの悩みに到達する。先に書いたように生まれることも死ぬことも人生で一回しか経験のできないイベントであり、特に死ぬことは誰にとっても未経験ゾーンである。不安・絶望・恐怖を覚えない人はいないであろう。

そんな人生の使用期限を告知するはめになった医師は、絶望と現実逃避に揺れ動く人を前にして、現実を伝えなければならない。言葉を選びながら、説明を受ける側の理解のペースを察しながら、正確に事実を伝えなければならない。

病で苦しむ人を助けるために志した医師が、時には人生の終わりを伝える告知を行わなければならない。新人の医師時代にはとてもつらいことだっただろう。

患者バッシングという言葉がある。患者に対して言葉遣いに気遣いがないとか、治療方針を松竹梅方式で選ばされたとか。

そのほとんどが、ボタンの掛け違いではないだろうか。

人生初のイベントを目の当たりに動揺している患者サイドはとてもセンシティブな状態なので、心理学的に「投影」や「置き換え」が起こりやすい状態にある。言葉尻をとらえて勝手に解釈しやすいマインドセットに陥る。

*投影:自分の中にある望ましくない感情、思考、または特性を、他人に帰属させる防衛機制

*置き換え:本来向けるべき対象に対する感情や行動を、より安全または受け入れやすい別の対象に向ける心理的プロセス

病気を告知されたときに、その状態を否定すること、怒りの感情を持つこと、恐れを持つことは、病気を受容するまでの一過程としてとらえられている。しかし、長くその状態に留まると心を病んでしまうので、なるべく早く抜け出るように心がけるべきである。

告知を受ける側のたしなみとして、投影と置き換えが起こりやすい状態であることを理解すること、そして医師の心配りを感じることはいつも意識しておきたいものである。