7月ある朝、海老江から野田阪神への長い長い乗換通路で私は100%の女の子とすれ違う。
後ろ姿だけで顔も見ていない。年もかなり若いのだろう。しかし30メートル先からでも私にはわかっていた。彼女は私にとって100%のキレイな歩き方をしていたのだ。
目を持っていかれるほどの歩き方をする人はそうそういない。振り返ってみると、10年前のJR大阪駅からヨドバシカメラに向かう地下道の手前ですれ違ったハイヒールを履いた黒い服の女性ぐらいだ。
10年前の彼女も、自然に背筋が伸びて大またでヒールをコツコツと鳴らしながら歩く。無駄もない、無理した感じもない。ただただ自然にステキな歩き方なのだ。
100%の歩き方を正確に言葉にすることは、私にはできない。左右対称な足の振りで、上半身のブレがなく、全体的に力学的に無駄が無いの歩き方だったと分析はできる。しかしそんな言葉では彼女の歩き方の素晴らしさの魅力は伝わらない。
JR海老江から阪神電車に向かう階段で、7月の彼女は颯爽と消えていった。
その後、彼女に三度すれ違うことになる。
阪神電車の改札口前の薬局、地下鉄野田阪神の南巽行きホーム、阿波座駅のホームと。彼女は阿波座駅の乗り換えで長田行きホームへと向かい、私はコスモスクエア行きホームへ。
私は村上春樹ではないので、彼女に長い長い声をかける言葉を考える事もなかったし、その歩き方の美しさを残すために動画で撮るという、半ば犯罪めいたこともしなかった。道端で咲く花を写真に撮るのとは訳が違うのだ。
ただ記憶に残すのみ。
誰にも迷惑をかげずにできることは、村上春樹の小説になぞらえて、このようなくだらない文章を書くことぐらいだ。