あのラーメンが食べたい、その2回目。伏見の酒かすラーメンの話題です。
学生時代の思い出の店が少しづつ無くなっていきます。
30年前、3年ほど京都市伏見区に住んでいました。いわゆる京都の人からは、「あそこは京都とちゃう」と言われたさいはての地、伏見です。
一時期は豊臣秀吉の居城(伏見城)もあり、大坂に向かう港もあったので、そんなに田舎でも無かったともいますが、平安時代から続く都に住む洛中の方々見ると「あそこは違う」ということなのでしょう。
人格形成に大きな意味を持つ時期に、胃袋を支えたお店が数年前に閉店になっていました。思い出の地、伏見のラーメン店「酒粕ら〜めん玄屋」を振り返ります。
京都伏見といえば酒?龍馬?
観光客にとっては、伏見とは酒蔵と坂本龍馬のイメージなのではないでしょうか。街を歩けば、風向きによってはお酒屋さんの匂いがします。
住んでいた頃は毎日寺田屋の前を通っていましたが、その頃は全く興味がなく、一度も中に入りませんでした。若かったということでしょう。 大人になってから歴史的なことに興味がでて、3回も見学に行ってます。
住んでいて、バイトもこの辺だった私には、思い出の詰まった地です。酔い潰れて寝ていた丹波橋駅の階段、カレー臭が半端ない「カレー」の工場があった京町通、24号線沿いのストリップ劇場「A級伏見」、たまに行ってた大正湯。雪が降れば道が凍結する大亀谷。
皿洗いしたらタダになる王将では、結局皿洗いはできなかったけど、困ったら助けてもらうつもりでいました。
今日の本題、伏見のラーメン店、玄屋
iPhoneの写真アルバムを見ると、最後に行ったのは2008年でした。
王将の手前のその当時は第一勧銀(2008年には京都銀行でした)を右に折れて、
酒蔵を模した白黒の外装、店主は作務衣が正装。 伺ったことはないので、憶測ですがご夫婦で切り盛りされていました。 クールな大川総裁似の店主と、笑顔の素敵な木の実ナナ似の奥さんの姿は瞼に焼き付いています。
「ら〜めん」はひらがなで、しかも長音符(ー)ではなく波線(〜)でした。バブル時代を感じさせます。
酒粕と味噌を用いた和風らーめんです。 奥さんの「七味でどうぞ!」という声かけが素敵でした。もしかしたら一味だったかも。
スープは確かに酒粕の香りがするものの、ちょうどいい感じのおいしさ。唯一無二なラーメンでした。
店内は照明を落としたバーの雰囲気。カウンターとテーブル席も黒を基調にした落ち着いた店内だったと記憶しています。 バイトの給料日には、バイト仲間と唐揚げも頼みました。
なんと2008年には子供を引き連れて行ってたようです。ライブハウスに来たような店内の様子です。
ありし日の酒粕ら〜めん玄屋を讃える声
「この深い旨味にハマった」
京都・伏見にある「玄屋」は、酒粕を使用したユニークなラーメンを提供する店です。店内は落ち着いた雰囲気で、酒蔵を思わせるデザインが特徴です。ラーメンは、鶏ガラ豚骨スープに酒粕を合わせた深い味わいが魅力で、最後の一滴まで楽しめると評価されています。トッピングには珍しい「剣(大根の千切り)」と油揚げが使用され、辛味版も人気です。店主は30年以上続ける酒粕ラーメンへの情熱を語り、その優しい人柄が感じられます。
著者は、絶妙なバランスで調合された味噌と酒粕をといたスープの風味が印象的で、スープを最後の一滴までじっくりと味わいたいと述べ、飲み切ってました。
もう一度、私も味わいたいものです。
酒粕ら〜めん玄屋の閉店を惜しむ声
各界から思い出話が、集まってきています。
結論:酒粕ら〜めん玄屋は唯一無二
iPhoneの写真アルバムに残った写真から推測すると、最後に行ったのは18年前でした。あれから何杯のラーメンを食べたことでしょう。それなのにふと思い出すほど、唯一無二、特別なラーメンでした。
閉店は残念ですが、私の中ではよい思い出です。
あのラーメンを食べたい、第1話は寝屋川の冷やしラーメンでした
あのラーメンを食べたい、最初のラーメンは、「冷やしラーメン」を提供していた寝屋川ラーメン店がんこパパ。誰に誘われたのか、誰と言ったのか全く覚えのないし、一度しか行っていないのに記憶に残るラーメン店でした。
気になったのでGoogleストリートビューとネット情報で調査した記事です。是非見てやってください。
大阪でみつけた酒粕ラーメン
懐かしのあの味にかなり近いラーメンに再会できました!